日本体育大学 大阪府同窓会の歩み

日本体育大学の校章大正初期に発足した吾が日本体育大学大阪府同窓会も、永々と70年有余の風雪に堪えて今日に至った。

この間の歩みについて、今後のために残すべく諸先輩にご解雇いただき要約された。

平成12年2月

日本体育大学 大阪府同窓会の歴代会長

初 代 朝輝 記太留 会長 大正初期〜昭和9年 
第2代 溝辺 庄一 会長 昭和10年〜昭和21年
第3代 中澤 米太郎 会長 昭和22年〜昭和27年
第4代 森脇 正夫 会長 昭和28年〜昭和32年
第5代 村上 平一郎 会長 昭和33年〜昭和54年
第6代 馬場 太郎 会長 昭和55年〜昭和56年
第7代 三井 正巳 会長 昭和57年〜昭和61年
第8代 矢島 誠治 会長 昭和62年〜平成元年
第9代 赤塚 勲 会長 平成2年〜平成10年
第10代 福田 隆 会長 平成11年〜平成16年
第11代 川之上 清 会長 平成17年7月〜平成20年7月
第12代 飯塚 十朗 会長 平成21年7月〜平成23年7月
第13代 白石 俊次 会長  平成24年7月〜平成29年7月
第14代 比嘉 悟 会長 平成29年7月〜

日本体育大学 大阪府同窓会の歴代要約

日本体育大学百十余年の伝統を誇るエッサッサ大正初期から昭和初期にかけての初代 朝輝会長の時代は会員数も少なく、およそ20名くらいで、実に家族的な集まりを続けておられたようです。

第2代 溝辺会長の時代になり、年次会員も増加し、多方面での活躍もめざましく着々と各界での実績をつみあげていかれた。とくに山口、大木、青木、井上、西田の諸氏が勢力的に努力され、名簿の発刊、近畿地区の連絡会、新聞の発刊などに取組まれる一方、同窓会会費をこつこつと歩いて集められるなど、会員の親睦を中心とした同窓会活動の基礎づくりをして下さったのである。そのために溝辺会長宅には種々のご迷惑をおかけしていた。

この時代までを本会の創生期といえるのではないだろうか。次いで第3代中澤会長の頃には、本郷、芝池、大木、森本、向山の諸氏がお世話され、各種目別研究会や講演会などの行事を中心として、会員の研修に努められた。

研修会終了後に参加者が集まり、時には富田林、堺、岸和田、大阪市内などで一献を傾けながら旧交を温められたと聞いている。

第4代 森脇会長の時代になり、吉原、花畑、鴨川の諸氏が研究会を引きついで開催され会員の資質向上に、また、広く大阪府下に於ける保健体育研究会活動の促進や高体連各協会分野に於いても多くの役員を輩出するなど言わば充実期を迎えるようになった。

次いで第5代 村上会長の時代になり、大木、松本、藤原、浅野、桑原、斉藤、前川、三井、佐藤、三宅、沖永の諸氏が協力され同窓会の発展期を迎えるに至った。

すなわち組織の確立、名簿の発行、本部同窓会との連絡強化、研究会や指導者研修会の開催など他ホン面についての活動が展開されていった。

そのなかで昭和34年に向山氏により大学部会がまとめられ、昭和35年には松本氏が全国にさきがけて就職対策委員会を組織され、多数の後輩を就職対策や指導に献身的に尽力された。また、昭和39年には、沖永氏が女子部の組織づくりをされ、同じく池田氏は中学部の組織づくりへの努力をされるなど、村上会長の意図に副うべくよく尽力された。同窓会会員も年々増加し、全国的な関係団体の役員・選手としての運営に、協議への参加にと活躍もめざましく、大飛躍を続けてきたのである。

一方、母校の大阪実演会や、各種競技団体の大阪大会開催などに際しては、後輩の世話や応援など同窓会活動を活発に展開してきた。

昭和50年に日本体育大学同窓会本部に於いて、表彰規定が制定され、大阪では同窓会活動に貢献された方々が全国表彰を受けられている。

次いで昭和52年に三井氏が理事長に就任され、大阪府下を4地区に分類した地区別体制が確立した。大阪府同窓会としては、年1回の定例総会の開催と、4地区(東西南北)に於いては地区懇談会や総会を開かれるなど、会員の親睦融和の輪を広げるべく努力された。

本会発展のため献身的に永年にわたり尽力され、また同窓会員から慈父のように尊敬されていた村上会長の突然の死去により、その後任期間を松本氏が会長代行を引継がれ、昭和55年の新役員改選期に、第6代目会長として馬場顧問を迎えた。

当時の同窓会活動目標は、

(1)会員相互の親睦を深め保健体育の振興に努める

(2)研修活動(研修会、講演会)を推進する

(3)女子部、中学部の振興助成をする

(4)就職対策の強化をする

などが考えられ、貝津理事長を中心として理事会で新しい方向をさぐりながら、団結を強固にして飛躍すべく運営された。

昭和57年8月、三井会長、貝津理事長の発案で「長老会」が発足し、年1回還暦を過ぎた大先輩にお集まりいただき「日体昔を語る会」を開催し、夏の夕の一時を過ごす機会を持つようになった。

また、昭和60年12月、日体大・体育研究発表実演会大阪大会を大阪府立体育館において開催し、3,500余の観衆を魅了し、盛会裡に会を終わることが出来た。これも会長・理事長の功績によるところが大である。

惜しむらくも、昭和60年10月に貝津理事長が急逝され、次いで昭和61年11月、三井会長突然の逝去により、中出副会長が会長を代行した。

以下現在に至るまで日本体育大学大阪府同窓会として永々と緒卒業生によってささえられて来た。また、近年は、学校・企業などにおいて多くの管理職者を有し、約1700余名の同窓諸氏の各方面での活躍は目をみはるものである。2000年を迎え益々の発展を希望するものである。

平成12年2月

日本体育大学 大阪府同窓会

 

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