大正初期に発足した吾が日本体育大学大阪府同窓会も、永々と100年有余の風雪に堪えて今日に至った。
この間の歩みについて、今後のために残すべく諸先輩にご回顧いただき要約された。
令和3年7月
大正初期に発足した吾が日本体育大学大阪府同窓会も、永々と100年有余の風雪に堪えて今日に至った。
この間の歩みについて、今後のために残すべく諸先輩にご回顧いただき要約された。
令和3年7月
初 代 | 朝輝 記太留 会長 | 大正初期〜昭和9年度 |
第2代 | 溝辺 庄一 会長 | 昭和10年度〜昭和21年度 |
第3代 | 中澤 米太郎 会長 | 昭和22年度〜昭和27年度 |
第4代 | 森脇 正夫 会長 | 昭和28年度〜昭和32年度 |
第5代 | 村上 平一郎 会長 | 昭和33年度〜昭和54年度 |
第6代 | 馬場 太郎 会長 | 昭和55年度〜昭和56年度 |
第7代 | 三井 正巳 会長 | 昭和57年度〜昭和61年度 |
第8代 | 矢島 誠治 会長 | 昭和62年度〜平成元年度 |
第9代 | 赤塚 勲 会長 | 平成2年度〜平成10年度 |
第10代 | 福田 隆 会長 | 平成11年度〜平成15年度 |
第11代 | 川之上 清 会長 | 平成16年度〜平成19年度 |
第12代 | 飯塚 十朗 会長 | 平成20年度〜平成23年度 |
第13代 | 白石 俊次 会長 | 平成24年度〜平成28年度 |
第14代 | 比嘉 悟 会長 | 平成29年年度〜令和3年度 |
第15代 | 尾崎 浩一 会長 | 令和4年度〜 |
大正初期 初代会長 朝輝記太留氏(卒業年不明)就任
本学の前身である体育練習所(体操学校)卒業生約20名で、同窓会活動が始まる。
最初は家族的な集まりから発展を遂げることになる。当時の呼称「大阪同窓会」の誕生であると記録に残っている。
昭和10年 第2代会長 溝辺庄一氏(明治34年卒)就任
当時の役員として、主に、山口吉雄・大木行徳・青木泰三・井上光・西田寛の各諸氏が精力的に活動され、地道に会費の徴収にあたり、初めての名簿の発刊、近畿府県の同窓会との繋がり、同窓会報(当時は新聞)の発刊にご尽力された。正にこの時代までを本会の「創成期」であると記されている。
昭和22年 第3代会長 中澤米太郎氏(大正15年卒)就任
各種研修会や講演会などの企画が始まる。役員では本郷鉦太郎・芝池信隆・大木行徳・森元鶴市・向山永治の各諸氏が奮闘し、会員が教育界をはじめ各界で十分に活躍出来るように、実技研修会等も開催された。終了後には、親睦会を実施し一献を傾けながら旧交を深めたと伝わっている。
昭和28年 第4代会長 森脇正夫氏(卒業年不明)就任
吉原一男・鳴川六司氏などが研究会活動を踏襲し、会員の資質向上に尽力される。その頃から教育界では、府下の協会・高体連に多くの役員を輩出し、その後、全国組織で活躍・貢献した会員を多数輩出した始まりである。いわば、当日の目的の一つである「保健体育の振興」を推進している「充実期」と呼ばれた。
昭和33年 第5代会長 村上平一郎氏(昭和6年卒)就任
約20年の長期に渡りご尽力を頂き、本格的な同窓会活動の「発展期」を迎えた。即ち、組織の細分化・全国同窓会との連絡強化・各種行事の企画・運営等、多方面について活動が尚一層推進された。
*昭和32年10月3日 第4回 体育研究発表実演会 大阪府大会開催
*昭和33年10月2日 第5回 体育研究発表実演会 大阪府大会開催
*昭和34年 向山永治氏中心となり、大学部会が発足
*昭和35年 松本得爾氏が中心となり、就職対策委員会を設置
*昭和39年 沖永波都子氏が中心となり、女子部会が発足
同時期に中学部会立ち上げに池田氏中心にまとめられ、その頃より会員が急増した。
昭和50年に全国同窓会表彰が制定され、本府から押野清二、辻田虎夫の両氏が初の受賞。昭和51年4月、新規約が制定され府下を東西南北の4分割とし、主に勤務地別に「地区別体制」が導入され各地区で会員の親睦融和をはかられた。総会・懇親会の幹事は4地区持ち回りの輪番制で企画・運営され開催された。しかし、残念なことに村上会長の逝去により、残任期間を松本徳爾氏が代行として着任することになった。
昭和55年 第6代会長 馬場太郎氏(大正15年卒)就任
貝津貫一郎理事長を中心として、活動の新しい方向を探りながら団結強固にして飛躍すべく運営されたと記されている。昭和56年の会員名簿発刊にご尽力された。
昭和57年 第7代会長 三井正巳氏(昭和21年卒)就任
昭和57年8月「長老会」が発足し、年一回還暦を過ぎた大先輩にお集まりいただき「日体昔を語る会」を開催し、夏の夕の一時を過ごす機会を持つようになった。
*昭和59年12月26日
第29回 体育研究発表実演会 大阪府大会開催(大阪府立体育館)
同窓会が全面協力し、3,500余の観衆を魅了し成功裡に終えたとある。三井会長、貝津理事長のご尽力の賜物であるが、発表会直前の10月に貝津理事長の急逝、翌年の11月に三井会長が逝去され、残任期間を中出盛雄副会長が務めた。
昭和62年 第8代会長 矢島誠治氏(昭和18年卒)就任
会長は、藤井證理事長を編集委員長とした名簿編集委員会を立ち上げ、昭和62年5月に、6年ぶりの立派な会員名簿を発行された。編集委員は各地区より2名選出し、会員の所在確認作業に大変苦労されたとのことである。名簿はB5版90ページで、巻末には府下出身の在学生名簿「浪速会」も掲載された。当時は、ワープロ時代でデータ処理の出来ない中、見事に本格的な名簿を作り上げた。当時の地区幹事長は、尾野崇(北)・雑賀武志(西)、西野健(東)、東嘉伸(南)の4氏が、精力的に活動し地区発展に大きく貢献された。
平成2年 第9代会長 赤塚勲氏(昭和32年卒)就任
平成の時代に入り、同窓会活動も藤井理事長のご尽力もあり、会員数の急増・各種行事の企画・運営がなされ、充実した会へと発展を遂げた。総会には、毎年多数の会員が参加し親交を深めた。更に、川之上清理事長に引き継がれ、長老会開催など過去の行事も復活された。体育実技研修会は齋藤好史氏が、毎年12月頃に様々な競技の体験研修会を企画され、教育現場に携わる同窓の資質向上に努められた。また、就職対策委員長の藤井栄吾氏が、教員採用試験を受験する学生向けに、講義や実技研修を毎年開催され、
就職指導に大変ご尽力を頂いた。
*平成6年11月 近畿・東海ブロック会議開催(本府主管)/大阪府教育会館
平成11年 第10代会長 福田隆氏(昭和36年卒)就任
理事長は一井敏郎氏に引き継がれ、パソコンの普及もあり約10年ぶりの名簿作成の準備が始動した。作成委員長の小林康宏氏を中心に、役員一同が所在不明会員の確認作業、作成費捻出の為に広告収入を得るために各企業・同窓諸氏に足を運び努力された。
また、この機に情報管理をパソコンにてデータ処理を進めることに切り替わった。
その結果、平成12年4月に青色表紙のA4版61ページ、1,700部を無事に発行、名簿記載の会員数は1,667名(所在不明者含)となった。所在確認者全員に配布とし、送付会員には、一部1,000円年会費と併せて4,000円の納付をお願いした。次回は、5年後に発行することが理事会で決定した。
*平成13年10月 本学2号館火災に際し、災害見舞金の協力
平成16年 第11代会長 川之上清氏(昭和42年卒)就任
会長任期を一年残し、川之上氏に引き継がれた。同時に理事長は増田美智子氏に引き継がれ、「初の女性理事長」が誕生し女子部の活動が活性化された。また、会員の所属地区を居住地別、従来の4地区に府外区を加え「5地区制」に移行した。加えて、山根義文氏のご尽力で同窓会専用ホームページが開設した。名簿は5年ぶりの発行で、編集委員長には雑賀亮一氏が選任され、個人情報保護の視点から会員本人への意思確認を行い、記載内容の希望有無を調査し細心の注意を払うことになった。名簿は平成17年11月に発刊、ピンク色表紙のA4版80ページの1,438名(確認のみ)となり、希望者のみ1,000円納付、発行部数は1,000部となった。
*平成16年11月 近畿・東海ブロック会議開催(本府主管)/スイスホテル
*平成18年 大相撲春場所同窓力士激励会を相撲部OB会と共催で始まる
*平成19年 本会名称を「大阪同窓会」から「大阪府同窓会」に改称
*平成19年 大学より委嘱の「教育実習生巡回指導」への協力が始まる
平成20年 第12代会長 飯塚十朗氏(昭和36年卒)就任
同窓会の重鎮先輩である飯塚氏に会長職は引き継がれ、理事長は尾崎浩一氏が務めることになり、同窓会の活性化の為に若い世代の導入をはかることになった。
平成23年には、飯塚会長が近畿・東海地区代表として全国同窓会の副会長に就任された。また、本会会員のご活躍に際し、下記の祝賀会を開催した。
*平成22年4月 三宅照子氏(昭和24年卒) 瑞宝小授章叙勲
*平成22年11月 飯塚十朗氏(昭和36年卒) 旭日双光章叙勲
*平成23年10月 松浪健四郎氏(昭和45年卒) 法人理事長就任
平成24年 第13代会長 白石俊次氏(昭和47年卒)就任
理事長は濱田哲也氏に任された。新会長は若手・女性会員と懇親を深める為、様々な策が講じられ活性化がはかられ充実した。また、会長・理事長は在任中に下記の大きな行事を遂行され、役員の全面協力を得て成功裡に終えた。平成28年は役員改選年であったが、実演会の準備期間と重なり混乱を避ける為、特例として現役員で年度末まで運営することになった。
*平成26年11月 近畿・東海ブロック会議開催(本府主管)/スイスホテル
*平成28年12月3日
第54回 体育研究発表実演会 大阪府大会開催(大阪市立中央体育館)
約30年ぶりに大阪府にて開催することが決まり、濱田理事長を中心に役員は約1年半前から準備を始めた。会場費は主管府県が負担することから、企業・団体80団体、個人150名の会員の皆様方からご協賛を頂いた。大会は約7,000名の観衆を前に、学生の素晴らしい演技に魅了し大成功を遂げた。
平成29年 第14代会長 比嘉悟氏(昭和48年卒)就任
本会は比嘉悟氏に引き継がれ、同時に理事長は尾崎浩一氏が再着任した。事務局は諸事情から副理事長の山根義文氏のところに置き、役員の協力を得て7月の総会と3月の大相撲力士激励会を、中心に活動を繰り返した。平成29年に本府出身の具志堅幸司氏が学長に就任され、7月総会にはお祝いの記念品を贈呈し会員一同で祝福した。
令和の新しい時代を迎え、令和2年には未曽有のコロナ禍に遭遇し、3月の大相撲激励会を開催したのを最後に活動が中断、同年の総会は中止とした。
令和3年に入り、役員改選年であったがコロナ禍での混乱を避ける為に、特例として1年任期が延長することになった。また、100周年を迎え同窓会だより「櫻阪人(おおさかじん)」を7月1日に創刊した。白黒A4版の10ページの内容で、発刊部数は1,800部となった。
令和4年 第15代会長 尾崎浩一氏(昭和62年卒)就任
令和4年7月